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生きる意味

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アホみたいにテーマが重いですが、哲学的な事も書いていこうと思っていたので、今回はかなり難しいテーマに設定しました。思索をまとめていきます。

皆さんにとって「生きる意味」は何でしょうか?『美味しいものを食べて食べ尽くしたい』『我が子の成長を見守ること』『愛する人と添い遂げること』『仕事を極めること』『ひたすら遊んで生きていたい』『種の存続』『誰かを元気付けること』など色々あると思います。

「生きる意味なんて考えなくていい」あるいは、「生きる意味など存在しない」という意見も多く聞くことがあります。はてさて、本当に考えなくていいでしょうか。

今、僕はうつ病だから痛感するのですが、生きる意味、生きる目的があるかどうかって、天と地の差があります。当たり前です。人は誰だって生きており、その生きていることそのものの意味を見いだせるかどうかで、生きることの価値が決まってしまうからです。ここで言う「生きることの価値」とは客観的な価値ではありません。主観的な価値です。

うつ病に罹っていると、どうしても生きる意味を喪失してしまいます。頭の中から生きる意味がごっそり消えてしまうのです。故に選択肢は自殺以外になくなってしまいます。

生きる意味を見出すことはある意味で言えば宗教を信仰することに等しいかもしれません。生きる意味が何であるかということは答えのない問いであり、最後は根拠なく「こうである」と決め込んでいかねばならないものだからです。

僕は仏教徒ですので、信仰心としての自分の生きる意味は、自分の信仰を全世界に知らしめ、全人類が自力で幸福になれるようにする、これが生きる目的です。これは自分の主軸に据えた生きる意味であり、表層的な生きる意味はまた別にあります。その表面的な生きる意味に関してはよく変動します、鬱が激しい時はなくなってしまいます。

先程も申し上げましたが「生きる意味」は答えのない問いで、何を生きる意味にすればいいかというと、「真実がどうであるか」ではなく、「生きる意味はこうであると決めれば生きるのが楽しくなる」という判断基準で決めていくべきであると考えています。

人生における哲学的な謎は、答えを追求しようにも真実がわからないため、楽しく生きやすくなるように設定していく事が肝心でしょう。

崇高な生きる意味を持つことが身分不相応であるかのように考える必要はないと思っています。誰だって崇高な生きる目的を掲げていいんです。どれだけ崇高なものを掲げられるかで人生の面白さ、充実感は大きく変わってくることと思います。

そうやって崇高な目的を掲げるためにはどうすれば良いか。僕は偉大な人物に会うこと卓越した本を読むことが必要だと考えています。崇高な人物や本の精神性に触れて、それを縁として自分も崇高な位置まで引き上げていくわけです。僕はこれが最も賢明ですばらしい生き方であると信じています。たとえその本が難しくても構わないのです、わからなくてもいいからとにかく1ページでも読んでみる、そういう心がけが、積み重ねれば自分を大きく変えてくれると思います。

また、生きる意味について重要なポイントは、それが科学ではたどり着くことのできない問題であるというところです。この世の物質世界をいくら研究したところで、どこにも生きる意味などというような解法は存在し得ません。すなわち、自分で勝手に決めていいのです。

低い山から高い山は見えない。崇高な生きる目的を掲げようと思ってもなかなか難しい場合が多いでしょう。それも当たり前です。見えないゆえに信じるしかないのです。そのためには信じるに値する人を見つけるしかないのです。

所詮は人ですね、人で決まります。人生は誰についていくかで決まってしまいます。

僕からすれば、生きる意味を考え定めていくことは必要です。とにかく今頭にある限りの知識や知恵を総動員させ、最も崇高な生きる目的を定めていくことが必要と思います。

より価値ある人生を生きるために、目に見えないものを大事にしていく姿勢を忘れないようにしていきたいものです。

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