祈るべきか、祈らざるべきか

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僕は創価学会員なので、毎日、南無妙法蓮華経の題目を唱えています。このことについてもブログに書いていこうと思います。

精神疾患者の場合は題目を唱えなくてもいいのではないかという風に言われています。いや、これは、組織の幹部に聞いてもこういう返答が返ってくるかどうかは分からないというか、要するに公式見解ではないのですが、少なくともネット上で同じような状況の人の体験談を聞いた限りでは、無理しない方がいいらしいです。体験談といっても、その中で創価学会の医師の集まり、いわゆるドクター部の医師の診察結果としての見解なので、信頼はできると思います。

題目を上げた方がいいのか上げない方がいいのかの判断は常に難しいです。できるなら絶対に題目を唱えるべきなんですが、大丈夫と思ってても後々しんどくなってくる場合とかもありますし、「こんなにイライラして神経がはち切れそうになるくらいならやらなきゃよかった」と思うことも多々あります。

そもそも精神疾患者は題目を唱えなくていいということの根拠ですが、題目を唱えるということは、御本尊を賛嘆する行為です。御本尊とは自分の対鏡であるから、即ち御本尊の賛嘆は自己の賛嘆です。一方、精神疾患というのは自分自身を常習的に卑下して否定しています。このことから分かるように、精神疾患でありながら題目を唱えることは、全く真逆の、逆行した行為を同時に行うに等しいということになります。このせいでだんだん狂ってしまうというわけです。

もちろん自分を卑下している人全員が題目を唱えてはいけないというわけではありません。むしろ自分に自信がない人が題目を唱え始めて自信がついてくるなんて体験はいくらでもあります。精神疾患の場合は病気ですから、足を怪我した人に走れというわけにいかないように、まず精神病を治療してから、自己と向き合って祈っていく、ということが必要になるのではないかというわけです。

足が健康で、しかし走るのに自信がないなら、毎日少しずつ練習して苦手を克服することができるでしょう。でも足を怪我していたら練習してはいけません。それと同じように、心の病がなく、健康ならば、自分を磨くための題目を唱える行為は効果を発揮しますが、精神的な病があるならばまずは治療が先、ということになるでしょう。

でも祈れるときには絶対に祈ったほうがいいと思います。確実に状況が変わります。何より自分の心境が変わります。ベッドの上で声に出さず胸中唱題でもいいと思いますし、少しでも早く精神疾患が寛解するように、できることは色々とあるのではないでしょうか。

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