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苦悩の意味を考える

思想哲学・思索
この記事は約3分で読めます。

苦悩は人生につきものであり、苦悩のない人生などあり得ないでしょう。

苦しみには必ず意味があります。例えば火傷をしたとすると、何か熱いものが皮膚に触れて、傷になってしまったわけです。そういう風に必ず原因があるわけです。

歯が痛いとしましょう。この痛みを取り除くにはどうすれば良いか。痛み止めを飲むという方法があります。痛みを取り除くという観点から見れば、この方法は素晴らしい方法です。しかし、多くの人は「いやいや、痛み止めなんか飲んでないで、歯医者に行きなさい」と言うのではないでしょうか。

それはなぜでしょうか。

なぜなら、歯が痛いということは、「虫歯」という原因があるだろうと推察できるからです。その原因を取り除かないことには、いくら痛み止めを飲んだからといって、根本的な治療にはならないことを、経験上、多くの人が知っているからです。

この歯の痛みの例のように、人生における何らかの苦痛を、痛み止めで抑えるだけにとどめてしまっている人が、実は多くいるのではないかと考えています。

ある話を聞いたことがあります。少しうろ覚えなのですが、とある小学校のクラスに、みんなが頭を抱えてしまうような問題児がいました。暴れん坊で、みんなに暴力を振るって困らせて、先生の言うことも全然聞きません。授業も妨害してしまいます。

当然、先生はこの子を叱りますよね。悪いことをする度に注意します。強く叱れば一時的には言うことを聞くものの、またしばらくすれば悪さをしでかしてしまいます。

どうすればいいか考えた先生は、この子の話をよく聞いてみることにしました。学校の終わりに「少し先生とお話しよう」と提案するようにしたのです。最初は当然「嫌だ」と断られ続けたのですが、根気強くその子と関わっていくうちに、少しずつ家庭状況などを話してくれるようになりました。するとその子は、両親の不仲などが原因で、家庭で孤独感を感じていることが判明しました。その家庭での鬱憤を学校で晴らしていたのです。

そのことを知った先生は、その子の味方であることを告げ、一緒にどうしたらいいか考えました。

その後、三者懇談などを通して解決しようとしたのか、家庭問題がどう解決したかははっきり思い出せないのですが、ともあれクラスで一番の問題児だったその子が、先生が自分を認めてくれたおかげで、誰よりも率先してクラスの行事に取り組む生徒に変わったのです。

この話をずっと覚えていまして、苦悩の根本原因に切り込んでいくということの重要性をいつも強く感じています

何かで今苦しんでいるとしたら、一度冷静になって考えて、何が原因なのか、このことを通して苦悩が私に何を気付かせようとしてくれているのか、そういったことを考えてみるというようなことが非常に重要だと思います。

仏典に「ただあつきつめたきばかりの智慧だにも候ならば善知識たいせちなり」とあります。熱いとか冷たいとかを嘆くだけの知恵しか自分になければ、本質は見えてきません。こういう時に、苦しみの本質に気づかせてくれる人(善知識)が重要になります。故に、自分で考えることにプラスして、誰かに相談するということが肝心なことなのではないかと僕は考えています。

ただただ苦しんでいるというのは、あまりにももったいないです。少しでも早く、ハッと、苦しみの意味を悟れますことをお祈りします。

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コメント

  1. ケロディウス より:

    前回コメント重複してたっごめんね(>_<)苦しんで悩むことが本当に後々活かされてるなって本当に思うよ><* この記事読んで改めて苦悩も成長のチャンスだなって思い出せたよ!

    1+
    • wakame1001 より:

      いえいえ大丈夫よ!自分も返信の仕方とかよくわかってなくて申し訳ない!
      コメントありがとう!苦悩をバネに、いい方向へ転換できるといいよね(・ω・)ノ

      1+
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