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めんどくさいという感覚について

この記事は約6分で読めます。

めんどくさいっていう感覚はなんなんでしょうか。めんどくさいって凄く厄介ですよね。これを克服できればいいのにっていつも思うんですが、非常に難しいんですよね。

逆にめんどくさくない状態とは

めんどくさくない状態とはいかなるものでしょうか。すなわち、意欲に満ち溢れている状態ですよね。やりたくてたまらない、したくてたまらない、一刻も早くしたい、そういう時はめんどくさくありません。めんどくさい時というのは、意欲がない時と言えるでしょう。

めんどくさいという感情があるのではなく、意欲がないから必然的に「めんどくさい」に帰結してしまう。

意欲がどんどん湧いて出てくればいいのですが、人生そう甘くはありません。なぜ意欲がどんどん湧いて出てこないんでしょうね。それだと疲れるからでしょうか。エネルギーを効率よく使うために「めんどくさい」と思うのでしょうか。でも例えば勉強をするとして、明らかに勉強した方がいいに決まっている時でもめんどくさいと思いますよね?これ意味不明じゃないですか?もう半分愚痴になってますけど。

人生において「めんどくさくない状態」ってすごく稀だと思います。よほど利益を確信していて意欲に満ち溢れていなければ、基本的には何をするにもめんどくさいものです。

「めんどくさい」に支配された世界

我々は「めんどくさい」に、日常を支配されていると言っても過言ではないくらい、めんどくさいことが多いです。朝起きるのもめんどくさい、準備するのもめんどくさい、会社に行くのもめんどくさい、仕事するのもめんどくさい、寝る準備するのもめんどくさい、とかもうめんどくさいだらけですよね。もちろんそんなことはないという人もいるかもしれません。ですが誰でも「めんどくさい」という感覚は容易に理解できるのではないかと思います。

めんどくさいと感じる原因と対処

我々がめんどくさいと感じる原因は何でしょうか。

やりたくないことをやらなければいけない時

これは絶対にめんどくさいですよね。だって、やりたくないわけですから。やりたくないことをするというのは重い腰を上げねばなりません。それをするのに体力を使うとか、頭を使うとか、神経をすり減らすとか、嫌いなことであるとか。体力や頭を使ったりすることは、やりたいことであればむしろいい刺激になったりするのですが、特に興味もないことや嫌いなことをやらなければならない時には不快感になります。

まずやりたくないことかどうかの前に「本当にやる必要があるかどうか」ですよね。やる必要がなければ当然やらなくていいんです。すぐにでもやめるべきです。だから、やる必要があるかどうかをまず見抜かなければならないと思います。せっかくめんどくさくて何もしたくないんだから、その何もしない時間を利用して、本当にやるべきかどうかを考えてみましょう。

苦手なこと、難易度の高いことをしなければならない時

たとえ好きなことであったり、やりたいと思うことであったとしても、それの難易度が高かったり、苦手である場合、やはりめんどくさくなってしまいます。一度に全部やろうと考えず、小分けにして少しずつ着手していこうと考えるテクニックはありがちですよね。ジョギングするときなんかも「とりあえずあの電柱まで走ろう」みたいに考えて少しずつ小目標を達成していくみたいな。

難易度が高いかどうかっていうのは相対的なので、乗り越えられそうなところまでハードルを下げる必要性ってあると思います。ハードルを下げた上で取り組んでみて、また乗り越えられそうなハードルの分だけ取り組んでいく、これの繰り返し。もちろん大目標は前提として見据えていなければならないのですが、それはそれとして視界の隅に追いやって、小刻みに取り組んでいくことを意識するのが良いのではないでしょうか。

苦手なことに関しても同様にハードルを下げて着手するというのが有効であると思いますが、どうにもハードルを下げられない、どうしても苦手であるという場合もあると思うので、無理はしない方がいいと思います。得意な誰かに任せるとか、方法は色々あるはずです。

やることに価値を感じない時

「こんなことする必要あるのか?」みたいなときはめんどくさいですよね。先生が漢字練習帳に何回も何回も漢字を書かせるときなんか「いやもうこんなに書かんでええやろ…何回書かすねん…」とかになるともうめんどくさくて仕方なくなりますよね。特に勉強面に関して、やる意義を感じないことは多いように思います。

これも、やりたくないことをする時と同様に、それをやる必要性があるのかどうかを検証するのが大事だと思います。価値を感じないわけですから、本当に価値がないのかもしれません。ですが、勉強面においてめんどくさいと思うときなどは特にそうですが、自分が価値を感じないと思っていても、実際は大きな価値があるなんてことも、結構あると思います。小学生が「なんで学校に行かなきゃいけないんだ」と素朴な疑問を抱いていても、大人になって小学生時代を振り返って「勉強しておいてよかった」と思ったりしますよね。

自分が取り組むことに本当に価値があるのかどうか、第三者の目線から考えてもらうということも大事ではないでしょうか。誰かに相談するとか。あるいはやろうとしていることをすでに達成した経験のある人に話を聞くとか。

「めんどくさい」をどうやって克服するか

総合的に見て、どうやって「めんどくさい」を克服すればいいか考えてみます。

何かに着手するということは、原因があって、達成した後の結果を見据えているはずです。例えばお風呂に入る、体が汚れているという原因があり、それを綺麗にするという結果がある。こういう原因と結果があって、その結果として手に入るものが、めんどくさいと思う感情よりも上回っていないと行動に移せないですよね。

だから結果として手に入るものが魅力的であれば、重い腰も上がります。その魅力を強く意識して、「こういう良い物が手に入る」「こういうダメな段階から、こんなにいい段階まで上がることができる」と確認していくことが大切ではないでしょうか。逆に言えば、そういう報酬のないことは、わざわざやる必要はないでしょう。「これを達成すれば、こんなに幸せになれる」ということを強く意識に刷り込んでいく、希望を大きく抱いていく、楽観主義でいく。そしてめんどくさいに対して報酬が勝つようにする。そこまで強くイメージを膨らませていくというのは良い方法ではないでしょうか。

「めんどくさい」は必要である

そして、一歩踏み込んで考えたいのが、「めんどくさいを活用する」ということ。めんどくさいという感情があるということは、それに何らかの必要性があるということに違いありません。我々はめんどくさいという感覚によって、引き算方式に、やるべきこととそうでないことを選別しているのではないかと考えます。いくら意欲があっても見境なくあれこれ着手していては人生の時間がもったいないだけですから。

また、必要なことであってもめんどくさい場合は、めんどくささに立ち向かっていく、乗り越えていく。その中にこそ人生の醍醐味があるのではないかと思います。

我々は、めんどくさいと思うことで価値ある人生を作り上げることができるのです。

そう思うとなんか心が軽くなりませんか?これでいいんだと思えてきませんか?

こうして「めんどくさいって厄介だなぁ、どうすればいいんだろう」と考えることが、もう既に人間的に成長する第一歩であると言えます。これからはより楽観的に「めんどくさい」に向き合ってみませんか。

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