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自殺願望、希死念慮について2 「死にたいと思う人へ」

この記事は約8分で読めます。

自殺願望、希死念慮についての続きです。

そんなことあったなぁ…

この記事、去年に書いたものなんですね、読み返して自分でも「あぁー、そう言えばこんな体験あったわ!」と驚きと感動(?)が起こりました。

すっかり忘れてましたこんなこと。確かウォーキングを習慣づけてたんです、それで歩いてたらうつで何も出来ない毎日のせいでものすごい虚しさが襲ってきて「俺はなんのためにこんなところ歩いてこんな運動なんかしてんだろ」って全てが馬鹿馬鹿しくなっちゃって。

それで帰りながらもう絶対に死のう、と思ったわけです。

何かショッキングな出来事があったからとかではありませんでした、確か。

軽い希死念慮ではありませんでしたよ、凄まじい自殺願望でした。なんであんなのがいきなり発生したのか分からないんですけど。

希死念慮ってのは本当に厄介です。どんな苦難があっても「負けるものか!」と思えば乗り越えられるものですが、その意志そのものがなくなるので乗り越えられなくなります。

ある程度生きてきて色々と達観してくると、死ぬまで闘って最後の最後まで抗おうなどと思うより、どうせ苦労してなんにもならないならいっそもう今すぐ死んでしまおう、と思う人の方が多いのではないでしょうか。

なんで死にたいと思うのか

さて、「死にたい」って感情、ほんとにおかしいですよね。生物学的に考えても明らかにおかしい。普通生命体なら何とかして生きようと思うはずです。これがダメならああしようこうしようと考えて、別に絶望なんかする必要もなくて、病気とか餓死とか殺されて死ぬところまで生き残ればいいんじゃないでしょうか。

なぜまだ生きられるのに自分で死のうとするのでしょうか。

生命体は自分の意思で生まれてきたはずなのに(これは自我意識の話ではなく、生物学的な意味で、です)。

苦悩というのは生物学的には死を避けるためにあるような気がしますが、苦悩がある故に自殺するなんて本末転倒ではないでしょうか。

僕が死にたくなる時の理由を考えてみます。僕は、死にたくなる時、むしろ生きる理由がなくなります。

実は人生というものは生きていることそのものが苦痛なんですよね。

仏教にも生老病死の四苦が説かれます。この四つの苦しみの中に「生きる苦しみ」が入っています。

老化とか、病気とか死ぬこととか、それが苦しいのはよく分かりますが、生きることも苦しいわけです。

何も感じず、何も思わず生きていくことはできません。必ず外界から何らかの影響を受けています。(色々な影響を受けた結果、たまたま平静な状態というのはありますが)常に何らかの影響を受けているということは、気分がいいか悪いか、どっちかになるわけです。

特にうつ病になると、「気分がいい」という状態はほとんど消えてなくなります。食べても美味しくないし、ゲームをしても楽しくない。綺麗だと思っていた景色もただの眩しさでしかなくなる。

すると、ただ生きてるだけで気分が悪い、普通に呼吸してるだけで息が詰まりそうになる、というようなことになります。

だって生きるということは闘いです。呼吸を止めれば苦しいから呼吸せざるを得ない。排泄なんて汚い行為も屈辱的ですが、しなければ身体を壊してしまう。

身体中で生きるための格闘が続けられており、生命は、その戦闘が劣勢になると苦悩を感じるようにできています。

「生きる」ということは「生かさない」ようにする宇宙の法則との戦争状態です。身体中で常に争いが起きてるのにそれが苦しくないわけがないですよね。

ただ生きることさえ喜びが存在しないのに、人生には苦難が多く存在します。そうなるともう自殺以外の選択肢は無くなるというわけです。

これは希死念慮を抱えた人ならよく分かることだと思います。

あるいは、生きるということはエネルギーが要りますが、死ぬことにはエネルギーが要らないので「死は自然な流れ」だと言えます。死ぬ理由があるから死ぬ、という積極的な自殺もありますが、生きる理由がないだけで自殺以外選択肢がなくなる、ということが充分ありえます。

自殺は解決の手段たりうるか

動物は苦しくても自殺しません。その選択肢がないからです。

人間は「自殺」という手段を知っています。皮肉にもその賢明さによって、今ある苦悩すべてから解き放たれそうに思える選択肢を持ってしまっています。

(と、思っていたのですが、動物も自殺するそうです。こちらを参照。動物もなかなかに賢いのですね)

もちろん死ねば楽になるかどうかなんて誰にもわかりません。僕が信じている仏教では死んでも生命体は見えなくなるだけで冥伏し、見えないけれども存在していて、感覚を備えています。

苦しい(というよりは非業の)死に方をすると、冥伏しているあいだも苦しいので、自殺で死ぬと苦しみからは全然解放されず、大きな苦悩を抱えながら、宇宙の海を漂わなければならない、というのが僕の信じているところです

また、その因縁と元々の持っている業のために次に生まれてきてもさらに苦悩の生涯となります。

そう信じるなら自殺は闇を深めるだけで何の解決にもなっていないとも言えます、が、まぁそれは目に見えない次元のお話なのでなんとも言えませんが、しかし証明できない以上は可能性を棄却できません。

まぁそんな形而上学の話をしなくても、とにかく人生の最後が悲劇であるかどうか、ということが重要であると考えています。

最善の選択肢は「楽しく生きること」であるはずです。

確かに「ずっと苦しんで生きるか」と「今すぐ一時的に大きな痛みを受けてこの先の苦悩すべてを回避するか」を比べたら後者の方が楽な気がします。生きていたらどんな苦しみがあるかわかりませんしね。どんな拷問を受けるかもわかりませんし。先手を打って死んでおく方が賢明だと言えるかもしれません。

しかし、そう考えている時は「楽しく生きる」という選択肢を除外して考えているので、ナンセンスであるとも言えます。

諦めて自殺するという悲劇を選ぶよりは、何とかして楽しく生きられる方法はないかと模索するのが最も賢明であるのは間違いありません。

ただ、そんな方法がないと確信してしまうところに、大きな自殺決定の動機があると思います。

特にうつ病患者はその確信が強いです。

生きていることが全く楽しくないんだから、自殺が最善の方法であることは言うまでもありません。うつ病患者が自殺という方法を選ぶことは当然とも言えます。

しかし、それは幻覚のようなもので、うつ病が治ればちゃんと楽しいと感じることのできる人生が待っています(もちろんそれでも色々苦労はしますが、生きる喜びがない苦しみに比べればマシでしょう)。

そもそも苦労と言っても、それを苦痛に感じるかどうかは別問題です。苦労を乗り越えることそのものが楽しいと感じる能力が人間にはあります。

そう考えても、やはり自殺は避けるべきだと言えるでしょう。自殺は明らかに悲劇です。

自殺衝動をどう乗り越えるか

うつ病になって生きる喜びがゼロになった時、死ぬ以外の選択肢がなくなります。さて、どうやってこの苦境を乗り越えればいいんでしょうか。

僕は「こうすれば必ず希死念慮は乗り越えられます」という方法を知りません。

とにかくギリギリのところでなんとか負けずに死なずに生きてきたから奇跡的にというか結果的に乗り越えられたという感じです。

もう死んでいた可能性だって充分あったでしょう。

だから、僕は自分の自殺も誰かの自殺も止めることができません!

無理です、そんなこと誰ができるでしょうか。

僕だってもしかしたら来月くらいには自殺してるかもしれません。自分で予防することもほとんど不可能です。

だからどうしても周りのサポートが必要になるでしょう。

それは直接的な励ましももちろん必要だとは思いますが、本当に死のうと決めた人に励ましはあまり意味が無いように思っています。

というよりは、その人の環境を良くしてあげるということが大事ではないでしょうか。

経済的に支援してあげるとか、仕事を辞めさせて休息を与えるとか。

そして何より、うつ病の治療をしっかりと行うことでしょうね。投薬治療なり、他の新しい治療ももちろんですが。

自殺を本気で考えている人がいたら不用意に触発せず、とにかく気持ちに寄り添ってあげながら治療を勧めてあげる、くらいしかできないでしょう。

そう考えると政治によるサポートは重要だと思います。うつ病患者に対する政治の重要性は非常に高いです、自殺者がこれだけ出ている現状であるから、深刻に考えねばならないと思います。

まぁ実際かなり国によるサポートは充実してきたとは思いますが、しかし実際自殺相談窓口みたいなとこもろくなものじゃないと聞きますし。

ともあれ、うつ病患者に対して安易な励ましは避けるべきです。健常者には理解不能でしょう。

健常者にも理解できるような、誰がどう考えてもそれは自殺するだろうと思うような危機的状況ならば、その危機的状況から救ってあげればいいのですが。(それは外部から手を加えるということもそうですが、助言を与えて本人による危機回避を促すこともそうです)

そうでない、理由のない希死念慮はそう簡単にはいきません。

周りのサポートの話をしてきましたが、希死念慮を抱えた本人としてはどうしたらいいか。

僕は自殺しちゃダメだと思わない方がいいと思っています。

(こちらもよければ一読を。うつ病患者は「自殺しない」と決めてはいけない)

そもそもそんな風に思っても苦しいだけなので、今すぐにでも死のう、死んでもいい、死んでもいい、と思いながら1秒でも長く生き長らえるしかないかと思います。

首吊り用の縄を用意することで希死念慮が落ち着くなんて人もいます。それはすごくよくわかります。用意するなとも言えませんし、用意しろとも言えません。僕も用意しておきたいです、とても。

とにかく自分を攻撃してくる人からは徹底して逃げて、なんならもう死んでやるぞとアピールしても構わないですから、死にたい自分を決して否定せず、今まで散々自分を犠牲にしてきたわけですから、これからは誰よりも自分を大事にすべきです。

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自分を不幸に追いやる悪魔には負けてはいけません。魔性の思うつぼです。

自分を縛るのではなく、どこまでも自由にしてあげましょう。

なんなら僕でよければ相談するので一緒に生きていきましょう。

どうか死にたいと思ったあなたにこそ生きてほしいです。僕はそういう人が好きです。

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