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潔癖症の苦悩/うんことかいう拷問

この記事は約6分で読めます。

話が長くなるので、目次で飛ばしてください。

潔癖症について

これを読んでおられる方の中に、潔癖症の方はおられるでしょうか。

もしおられたら、どの辺りまでの潔癖症、またどういう種類の潔癖症でしょうかね。

潔癖症と言っても色々ありますよね、リモコンの配置とか気になったり。見えないはずのウイルスとかの汚れが(気にしすぎたせいで)目に見えるなんて人もいますよね。

僕も結構見えます。スマホ画面なんかは明らかに汚いのは見えます。目で見えます

見えないんですけどね、でも見えます。

と言ってもそれは過去のお話で、今はもうスマホ画面の汚さなんか全然気にしてないんですけどね。

僕は先述したような、リモコンの配置とか物の配置が気になるような、そういうタイプの潔癖症ではないのです。

そして、よく思われるであろう「潔癖症ってことは部屋が綺麗なんだろうね」という固定観念もぶち壊すタイプの潔癖症です。

めちゃくちゃ部屋が汚い潔癖症の存在を認めてくれ

僕の部屋は全然綺麗ではありません、めちゃくちゃ汚いです。

1人暮らししてた頃なんかは、外から部屋を掴んでぐちゃぐちゃに振り混ぜた結果のような状態になっていて、自分の部屋にGはもちろん、ゲジゲジとかムカデまで出ましたね。

そのどれが出ても、心臓が口から飛び出るくらいびっくりしました。

1人暮らしした時に比べたら部屋は綺麗、ではありませんめちゃくちゃ汚いです。

僕と同じような潔癖症の人だったら、もしかしたら部屋が汚くなる心理はわかってくれるのではないかと思います。

掃除が大嫌いなんです。

それがすべてです。潔癖症だから汚いものが嫌い、だから掃除したくない、だから部屋が汚くなるんですね。当たり前のことなのになぜかわかってもらいがたい。

潔癖症のイメージって部屋が綺麗なイメージですし、テレビで取り上げられる潔癖症の有名人なんかもみんな部屋は綺麗ですよね。

だから困るんですよ、僕みたいな部屋の汚い潔癖症は。

潔癖症などという人に嫌われやすい問題を抱えながら、しかも部屋が汚いんですから。

だから散々バカにされましたし、自分でも自分にうんざりしてます。

でもやっぱりどうしても掃除が嫌なんですよ。特にトイレ掃除は地獄ですね。僕は目が悪いんですが、トイレ掃除をする時、いや、トイレで普通に用を足すときでさえ、メガネを外してトイレに入ります。…って人もまぁまぁいるんじゃないんですかね?

んで潔癖症あるあるだと思いますが、便座に座る時は必ず、お尻が触れる位置にトイレットペーパーが来るように、V字にトイレットペーパーを敷いてから座ります。

こんな感じです。

これ必ずやってから座ります。

ところが今この画像を検索するために調べてたら、こんな風にトイレットペッパーを敷くのは逆効果のようですね。詳しくは省略します。

まぁそんな感じでですね、高校の時とかは凄まじい潔癖症で、そのことだけで人生に絶望して死にたくなるくらいのレベルだったんですが、今はだいぶ緩和されました。とはいえ、そのトイレの件とか、今でもかなり名残が残っています。

うんこするのが汚すぎて地獄

わからないですかねぇ、なかなかわかってもらえないんですよね。

うんこすることそのものが最高に苦しいんですよ。いや、行為そのものが気持ちがいいですよ、快便は気持ちがいいです。

そうではなく、排泄をしているという事実を客観的に捉えたときに苦悩が発生するんです。

いや、もっと言えばその排泄物を常にお腹の中に抱えているという事実に絶望します。もう何回も絶望してます。

人は生きている間ずっと死ぬまで、クッッソきったねぇうんことかいう地獄みたいな物体をずっと抱えながら生きるでしょう。そして、そのことを排泄行為によって思い出すでしょう。

めちゃくちゃ苦しいと思いません?これわかってもらえる人いないんですかね。

僕はこのことに絶望しないために、今までいろんな考え方をしてきました。

一番有効だったのは、体の中に食事から排泄までの一つの一連の法則が通っていると考えるものでした。

突き詰めて言えば、口から食事を飲み込むことさえも汚いと思うんですね。そして、それが消化されることも気持ち悪いし、排泄物はもっと気持ち悪い。

その一個一個を見ていくとしんどいので、全体を俯瞰で見て、食べ物を消化してエネルギーを吸収していらなくなったものを体の外に出すという一つの生命体の法則として見るわけです。

口から肛門までスーッと法則が突き抜けていくような感覚です。もっと言えば、それが口と肛門を繋いで円になりながらクルクルと回転しているようなイメージ。

これである程度は気持ち悪さから克服することはできました。

こういう思考ができるのも、僕の信仰による宗教的発想力のおかげではあると思うんですけどね。

唯物主義はしんどいんですよ、潔癖症で完璧主義で唯物主義になってしまうとね。小さな汚物でさえ、膨大に増幅されて、人生の大きな障害になってしまう。

別に僕は唯物主義ではないんですがまぁ信仰者とはいえ誰しも目で見ることのできる簡単な唯物主義の方向に常にズルズルと落ちていますからね。

そんな風に思考をうまく工夫して今まで色々乗り越えては来ましたが、それでもやっぱり排泄物を腹に抱えているという事実は気分が悪い。

また例えば、どれだけ綺麗な女優さんであったとしても、腹の中にキッタネエうんこを抱えて、きったねえ汚物を持ち運びながら美しい演技をしてるわけですから滑稽ですよね。

仏壇にご供養の品をお供えするときでさえ、我々はきっっったねえうんこを腹に持ち運びながらお供えするんですよ。

重度のスカトロ趣味の人なんかは、そもそも排泄物を汚いと思わないからいいですよね。

まあ、それもこれも今は潔癖症はかなり改善されたので、今は昔のお話なんですけどね。

過敏性腸症候群で下痢とかいう液体汚物を抱えさせられる罰

そして僕は今過敏性腸症候群なので、下痢気味でですね、そのせいでもう何回もトイレに入るわけですが、水みたいな下痢便が出そうで出なくて、ブチッ!ブッ…ブッチッパ!って感じで水が弾けて爆発するようなトイレの嗜みを毎日堪能させられています。しかも腹がいってえ。

別に固形汚物だから綺麗だとは言いませんけど、やっぱり液体の汚物を抱えているというのは固形のそれに比べると結構気持ち悪いものです。

固形だったらスッと出し切ることができるし、苦しくないし。

まぁそんなわけで結局過敏性腸症候群の話に帰結してしまってすみません。

治したいと治したくないが交錯する症状

潔癖症とか、強迫性障害とか何でもそうですけど、潔癖症を治すということは、汚いものにそれほど嫌悪感を抱かないようにするということなので、汚いものには嫌悪感を抱いておきたいという自分の意思と逆行するので、すごいジレンマなんですよね。

確かに潔癖症は困るから治したいんですけど、治すということは汚いものにどんどん触れていかなければならないということにもなるので、治したくないということにもなりますし。

僕が潔癖症を大きく緩和させることができた出来事は、一番は寮生活でしたね。

寮生活で多くの寮生の顔と名前を覚えるのに必死だったし、毎日のように多くの寮生と話をして頭をフル回転させている日々では、汚いことを考える余裕がなくなってきます。

そんなこと考えている場合じゃなくなってきます。

だから寮生活が続くとだんだん潔癖症が緩和されていきました。

そういう風に、潔癖症を治すのであれば、直接汚いものと向き合うのではなくて、何か他の熱中できることとか、楽しいことを探して、その経験を通して、だんだんと汚いものに慣れていって、というか気にならない状況を作って、気づいたら潔癖症が治っていたみたいな状況が一番理想だと思っています。

でも、僕と同じように寮生活をしたにも関わらず全く潔癖症が良くならないどころか、むしろ悪化した人もいましたから、やっぱり人によるのかもしれませんね。

潔癖症は生きてることが地獄になってしまいがちですからね。病院とかでも治療をしてもらえるのかな。

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