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クオリアについて、まず知ってほしい

思想哲学・思索
この記事は約5分で読めます。

クオリアってなに?

クオリアについてはずっと書きたいと思っていたのですが、いかんせん難しいテーマですし、手を付けるのに躊躇していました。別に僕は哲学のスペシャリストでもないですし。

でもそれだと始まらないので、自分の知っている範囲から少しずつ書いていって、学びながらブログにまとめていくような方向でやっていこうかなと思います。

僕自身の思索も含めて楽しんでもらえればなと。

さて、クオリアって知ってますかね。

(色んなサイトで取り上げられてるので何番煎じだよって感じですが一応自分の言葉で説明しておきます。ちなみに僕はここをめちゃくちゃ読みまくって感動を覚えた時からクオリアにハマりました、よければ一通り見てみてください。そっちのサイトの方が数億倍わかりやすいと思います)

↑これです。これが赤のクオリアです。

今この画像を見ている方には、赤色が見えていると思います。

この赤い色はどこから来たのでしょうか?

「んなもん決まってるだろ!目に赤色の光が飛び込んできて、それが目で処理されて電気信号で脳に送られたから赤色が見えてるんだよ!」と思われるかもしれませんが、しかしこの赤い感じ、あぁ赤いな、赤いぞこれは、というこの感覚は、電気信号だとか脳の状態だとかでは説明できないんですよね。

これは赤のクオリアですが、ギターの音色とか、甘い味とか、そういうのも全部クオリアです。

物理学的に赤のクオリアを説明、観察することは不可能

とある被験者に赤色を見せているとします。この瞬間に私がこの被験者の脳の内部を、透視メガネみたいな、ものを透視して中を見ることができるメガネかなんかをかけて脳内を観察したとしても、赤色のクオリアはどこにも存在しない、ということはわかると思います。

あるのは「赤のクオリアを見ている状態の脳という物体」だけです。

まぁ強いていえば血が赤いので、ちょっとややこしいですが、被験者は血を見て赤いと思ってるわけじゃなくて、目に飛び込んできた赤い光を見て「赤いな」と思ってるわけです。

その被験者の見ている、光による赤い感覚は、他の誰かが脳内を観察しても、脳の中のどこにも存在しないんです。

被験者だけが見ている感覚なんです。極めて主観的な現象です。

あなたにも上の画像を見た時に見えてますよね?赤い感覚が…

これはどこから来たのでしょうか。

クオリアを説明するためにいくつかの思考実験が存在します。

哲学的ゾンビ

クオリアというものは、物理現象の外に存在します。ニュートンやアインシュタインの物理学をもってしても、その中でクオリアの存在を記述せずとも、(今わかっている範囲では)地球から宇宙の端っこまで全部物理学として論じることができます。

現状では、物理学は物理学のなかだけで閉じていて、クオリアはその外にあります。

つまり科学的にはクオリアは存在しないことになっています。

しかし、現に!あなたの目の前に、赤のクオリアがあるじゃありませんか!

これはどこから来たのでしょう。

このことをわかりやすく考えるために、哲学的ゾンビという思考実験がありまして。

以上でお話したクオリアは、物理学的に記述できないので、我々の生命体が物理学の法則に則っていて、物理学だけで生命体の動きを全て記述できるとしたら…、クオリア抜きにしても生命体は存在することが可能となります。

こういう、主観的意識を一切持たない、すなわちクオリアを持っていない、内面的に完全に死んでしまっている人間のことを哲学的ゾンビといいます。

これはあくまで思考実験で、一応現実には存在しないという前提のようなのですが、あながちそうとも言いきれません。

「いやいや哲学的ゾンビってのは、そうとも言えるよね、みたいな話でしょ?現実にいるわけないじゃん!」…と言い切れるのはなぜでしょうか??

もしかしたら自分以外の誰もがみんな哲学的ゾンビかもしれません。

もしかしたらこうやって話している僕も実はクオリアを持たない哲学的ゾンビかもしれません。

「現実に哲学的ゾンビなんているわけないじゃん!」などと言っているあなたも哲学的ゾンビなんじゃないの!?

…とも言えるわけです。

赤い感覚が感じられている時、この赤い感覚はどこから来たのか。

例えば僕の見えるは、あなたにとってのかもしれません。あなたは幼い頃から「青を赤として」教わってきたから、青のことを赤と呼んでいるのかもしれません。

…といったように、クオリアを確かに僕は感じているのですが(信じてください!)、その存在を他の人間に対して証明する手立てがありません。

クオリアは物理世界になにか影響を与えるか

で、さっきのリンク先の「哲学的な何か、あと科学とか」では、

クオリアなしで物理世界を物理学で説明できてしまう、クオリアなしで物理世界は完結するならば、クオリアって要る??」っていう話がされています。

他人にクオリアがあるかどうか証明できない。哲学的ゾンビだったとしても何も問題なく社会生活を送り、生きて、死んでいくことができる。ならばクオリアなんかなくてもいいわけです。

脳がこういう状態になると赤のクオリアが発生する、という、脳の条件からクオリア発生の因果関係があるので、物質の状態→クオリアが発生はあるんですが、その反対、クオリアがこうなると物理的な変化が起こるということは発見されていないようです。

当たり前と言えば当たり前で、クオリアが物理世界に何らかの作用をもたらすとしたら、それは飛んできたボールを念じれば軌道を変えることができるみたいなそういう超能力を認めることになってしまうわけですね。

そんなことは普通ありえないので、物理現象がクオリアに影響を与えても、クオリアが物理現象に影響を与えることはないとされています。

ここまでは先程のリンク先のサイトに書いてある通りです。が、僕はこれを信じられなくて、やはりクオリアが物理世界に影響を与えることはあるとしか思えないんですよ。

実際、もし哲学的ゾンビが存在するとしたら、哲学的ゾンビがクオリアを語ることはおかしいという矛盾点も存在します。

クオリアが存在しないなら人はクオリアを語りえない。しかし現に皆がクオリアを感じていると告白し、クオリアを語ることができる、という重大な事実があります。

これだけでもクオリア→物質という影響が存在する証拠としていいのではないかと僕は固く信じ込んでいます。

人体の動きはカオスであり、物理学的に詳細に記述することは事実上不可能なわけですし、どこかに隠された何かがあるのではないかと僕は信じています。

というかそうでないと仏教徒である僕としては困ります。仏法では自由意志も認めるし、宿命の転換も説くわけですから、すべて物理学で記述できるとした場合における未来の変更を許さない運命論を認めるわけにはいきません。

今のところ僕の意見としてはこんな感じです。

なにか異論があればお聞きしたいです。僕も哲学に詳しいわけではないので。これから勉強していきます。で、思索した事をどんどん記事にしていきたいと思います。

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